『卵と小麦粉それからマドレーヌ』
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2020-12
私がフィンランドにいた年の誕生日に、仕事を失ったばかりの彼が日本から送ったのは、540円の文庫本だった。送料もほとんどかけず、国際定形郵便の値段の切手で送られてきた。この本の中では、中学生の菜穂の専業主婦のママが、ひとりで料理の勉強をしに半年間パリに行くことを決意する。ママは、フィンランドにいる私にも、私のママにも重なった。あのころの私たちにとって合理的で的確で、あるべきことに満ちたプレゼントだった。
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この本をペラペラと読み返していると、「ふたつの風船」の話がでてきた。18のとき、信頼するある人に「二兎も三兎も追える人になりなさい」と言われたことがある。菜穂のママと同じように「わたしは一度にふたつの風船をつかめるタイプの人間じゃない」と思った。
良いデザインを語るとき、しばしば「シンプルであること」が言われる。20のときデザイン学生だった私は、シンプルであろうと、何を削るか何を省くかばかり考えていた。でもふと、「削って省くことではなく、あるべきものをまとめあげることが、シンプルにすることなんだ」と気がついた。
私はやっぱり、「二兎も三兎も追える人」でも「ふたつの風船をつかめる人」でもないけれど、二、三の兎に同じ道を走らせたり、ふたつの風船を結びつけることはできる。デザインをシンプルにするのと同じように。
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この本をもらったときから3年が経った。いまは私自身も菜穂の「ママ」に重ねてしまう。私は、シンプルにすることで、ふたつの風船をつかんでみたいと思っている。
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卵と小麦粉それからマドレーヌ(石井睦美)