『もののあはれ』
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2020-01
ケン・リュウは、久々にSF小説を読むきっかけとなった作家。
彼はアメリカ在住の中国人であり、青春期は日本のサブカルチャーにも触れていて、日本が舞台で作品の原題も「Mono no Aware」という作品もある。おおよそのことは省くが、短編集「もののあはれ」に収録されている「良い狩りを」は読んで語らいたい作品。
内容は、妖怪退治士の父を持つ少年が妖狐の少女と出会い、自然が文明によって失われるとともに自分たちの居場所もなくし、時代に翻弄されながらどう生きていくのかを模索していくというもの。ぼんくら趣味の私としては、「中国妖怪×スチームパンク」というだけで5億点なのだが、本作品の魅力はそこだけではない。決してジュブナイルにはならず、大人になってそれぞれ時代と向き合いながら悩み、そしてある答えを導き出すという点。自然が失われ妖怪がいなくなっていく中で、妖怪退治士を辞めて蒸気機関のエンジニアになった少年と、身を売って機械仕掛けの身体に改造された妖狐の少女は、自然と文明とが共存する生き方を選ぶのだ。
私が感動したのは、彼らの選択と行動。今の時代と向き合い、かたちを変えてどう生きるのか。世界を巻き込まず、人知れず生き方を整えたあたりに、もしかすると自然と文明が共存する可能性があるのかもしれないと思った。 今まで自然と文明の衝突を描いてきた作品は多くある。そのいくつかの中で「良い狩りを」を読んで、思い出した作品が高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」。自然が勝つ、文明が勝つという終わりではなく、人間の日常に溶け込むように狸たちは生活を“変幻”させたのだ。「良い狩りを」にも同じ匂いを感じる。何が良いか悪いかではなく、諸行無常を受け入れるあたりが。
どうでもいいのだが「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストシーンで、昼はサラリーマンとして働く狸が、夜道を歩いていると空き地で狸たちがちゃかぽこ宴会をやっているのを見つけ、ふらっと元の姿に戻って楽しんでいるシーンを観ていつも涙ぐむ。私も、狸なのかもしれない。
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「もののあはれ」ケン・リュウ