『エラーのゆくえ / 思考記』
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2022-06
少し特殊な流産をして病院に通いながら不安と喪失感に泣き喚いて過ごした3ヶ月間があった。やっと身体が次へと進み出したとき、ふと、私たちが失ったものは何もなく、ただ得たものがあったのだと思いはじめた。実際、私が妊娠したような身体のままずっと戻らなかったのは、育つことはない小さな命が月日をかけてゆっくりと私の体内に吸収されたためだという。
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私たちって親になったのかな?
この問いに取り憑かれていた私は何度も来る日も尋ね続けた。私の問いかけに、彼はごまかしたような反応を続けた。
ある日、
きみはどうなの?
と彼は聞き返し
うーん、微妙
と私は答えた。
彼はほっと安心した顔になって
おれも
と。
このとき、気持ちがそのままの形で心にぴったりとおさまって、問いは消えてなくなった。
私が吸収したこの命は間違いなく私たちの大切な存在で、ずっとここにいて見守ってくれている。
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この人ならわかってくれそうと直感し、気持ちと出来事を伝えた3人の年上の友人たちは、3人とも同様の経験をしたことを教えてくれた。
エラーのゆくえはどこなのか。エラーが見えづらい世の中で、エラーに出会った私たちは、静かに仲間を探しながら、ときに何十年もかけてエラーのゆくえを見届けるのだ。
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エラーのゆくえ