『鮨』
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2019-03
「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」
少し前、研究室の先輩と話していて、かの子の名前が上がった。この先輩が濃ゆい人で、心の中で「歩くウィキペディア先輩」と呼んでいる。
それはさておき。福ずしの客の一人である湊は、「鮨を喰べる」行為に目的がある。湊が生きているものを殺生した食べものを受けつけるようになったきっかけである、母親が握った不恰好な鮨。その時の母親は「子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯忘れ得ない美しい顔をして」いた。この時、湊の中で「生みの母」と「お母さん」が「一致しかけ一重の姿に紛れている気がした」と湊が言っている。このことが、表記からも読める気がする。
生みの母に対しては「母親」、幻想の中の「お母さん」には「母」を使っていたが、ここでは双方に「母」を使っている。だからこそ、「鮨を喰べる」行為は「慰み」なのかなと。
「お鮨小説」の二大巨頭といえば、志賀直哉の『小僧の神様』か、岡本かの子の『鮨』だと思っている(当社比)。志賀と、かの子の、この2作はお鮨食べたくなります、とウィキペディア先輩に言ったら、単純だなあとからりと笑われた。はい、単純です。『鮨』岡本かの子