『人間失格』
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2019-02
そこで考えだしたのは、道化でした。
初読は中学1年生。ちょっとコムズカシイご本を読んでみたくなるお年頃だった。その時は読了できなかった。当時の私の脳みそでは理解できなかったのと、なんだかはずかしくなって、本を閉じてしまった。この、はずかしくなって本を閉じたくなってしまうこの感じが、太宰という作家の魅力を表している気がする。
さて、このはずかしさってなんだろな、と考えてみた。あえてひとことで言うならば、「他己的自己分析」かな、と思う。「私」によって語られる「私」という人間を通して「私」を客観視させられる感覚。意識したくないのに、詳らかにされる。やだ、何でそんなことまで知ってるの。道徳観念、か。そんな綺麗事で生きてない。生きていけない。自分の居場所の確保のために、小綺麗なふりして生きている。こんなんでいいのかな、私。という具合。ーその魅力に、まんまとはまってしまったわけだけど。
好きな場面は、第二の手記の仙遊館でのやり取り。ラヴ・レターでミルクをわかすって。こんなウィットに富んだ切り返しをしたい。そうすれば、もう少しうまく立ち回れる。これも道化になるのかな。
長くなってしまったけれど、太宰は私にとって特別な作家です。
太宰治『人間失格』