『他者と生きる』
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2022-07
摂食障害や予防医学の領域で研究を重ねてきた人類学者の磯野真穂さんが、医師や患者さんとの会話、治療の文脈で語られる”正しさ”への違和感を発端に、統計データでは到底導き出せない人間観について、また誰かと一緒に生きるということがどういうことなのかという壮大なテーマを論じようと試みたのが本書『他者と生きる』。
統計データや数字、権威のある人々が決定したことなど、「正しい」とされることが自分の実感を伴わないまま情報として与えられ、それが現実を作っていくことへの危機感を提示しながら、そんな「正しさ」に対抗するものとして平成以降よく語れるようになった「自分らしさ」へと話は進んでいく。
そもそも、「自分らしい」って、なんなのか?
磯野さんは、統計学的に結ばれる人間像でも、ひとりの人間の中にデフォルトで埋め込まれていると思われがちな個性でもなく、他者との関係の中で都度引き出されていく、動的で、揺らぎがあって、不安定な反応こそが、その人をその人足らしめるのではないかと言う。
他者と私の間の領域ではルールは確立されておらず、極めて不安定だ。なにが起こるかわからない。関係が壊れてしまうかもしれない。なかったことにされるかもしれない。そんなリスクを引き受けながらも、相手を信頼して、ボールを投げてみる。予想できない未来の中にまず自分から一手を指すことでしか、新たな関係は構築されない。
出会いとは、予定調和ではない、一瞬どうしたらいいかわからないもののことだと磯野さんは言う。不確かな世界や他者を信じることから新しい関係性が結ばれていくということが素直に理解できたとき、正直に言って私の頭の中では「ガーーン!!(ガーン・・ガーン・・・)」とショックのあまりシンバル(銅鑼でもいい)の音が反響していた。
なぜなら、ここ数年、”出会い”がないと軽い口調で話し続けてきた私の目の前ではきっと、世界や誰かは私の次の一手を待ってくれていたはずなのに、そこに踏み込まなかったり、なかったことにしていつも通りの他者が介入しない私の予定調和の世界を開かなかったのは、他でもない自分自身だと気がついたからである。
出会いはある・ないじゃない。自ら、他者に向かってボールを投げることであり、飛んできたボールを受け止めるなり、打ち返すなりして、予測できない不安に耐えながらも、その先に何が起こるのか一緒に見ようとすることなのだと教えてもらった。未来とはすでにある道を一歩ずつ進んでいくことではなく、その時々で現れる他者とぶつかったときの反動でいくらでも軌道を変えながら、共に道をつくっていく、その過程のことだったのだ。
このショック療法はかなり効き目があった。今の自分が想像し得る未来なんてたかが知れていて、それよりも今目の前にいる他者に心を開くことで、次の足場が作られていく。それがきっと思いもかけなかった場所へと連れて行ってくれるのだろうし、それこそが私の人生でしか描かれなかったラインとなり得る。いったいそれがどんな軌道を描くのか。もう少し人生が進んだときに振り返る楽しみができた。
人間とは、自分らしさとは、他者と生きるとは。そんな壮大なテーマを人類学者として論じきった、『急に具合が悪くなる』と対で読みたい1冊。
『他者と生きる』磯野真穂・著 集英社