『舟を編む』
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2020-01
遠足で行った水族館の、イルカショーのトレーナーのお姉さんがかっこよかった。
「イルカのトレーナーになりたい」
優しくて大好きな、あの先生みたいになりたい。
「夢は、音楽の先生」
よくあるフローチャートで、自分の向いているタイプと書いてあった。
「図書館司書って面白そう」
ずっと遊んできたゲームを、つくる側になったらどうなるんだろう。
「ゲームクリエイターってわくわくするなあ」これらは全部、わたしが昔「なりたい」と思ってきたものである。
…ただし、どれも長く続いた試しがない。
人から影響を受けることは悪いことだとは思っていないし、
むしろたくさんの物事にふれることは人生にとってプラスだと思ってる。
反面、気にしすぎだな、と思うことは多々あるけれど。しかし何よりわたしは「飽きやすい」のだ。
興味が湧いては消え、湧いては消え…
興味とはズレるかもしれないが、日記だって見事に三日坊主だった。
それでも、絵を描くことがずっと好きで続いているのは、本当に「好き」だからなんだろう。「好き」は強い。それがlikeでもloveでも。
モノに対してもコトに対してもヒトに対しても、それは平等に作用する。
「恋は盲目」なんて言うけれど、きっと本当に好きなことは
本人もよくわかってないのだろう。それが「好き」なのかどうかもわからない。馬締くんの言葉に対する没頭ぶりを見ていると
これが「好き」なのかただの「性質」なのかこっちまでわからなくなってくる。でも、言葉の海をさまようとき、彼の口元はニヤついているんだろうな、と読んでいて想像してしまう。さて、冒頭の話題に戻る。周囲に影響を受けまくりなわたしの話だ。
この物語に出逢ったのは芸大に通い始めていたときで、自分はデザインの道に進むんだろうな、となんとなく道も絞られ始めていた。
なのに、それなのに、思ってしまったのだ。「辞書編集者って、かっこいい…」
いやいやいやお前…それは安直すぎやしないか!?
さすがにこれは一瞬思っただけで、それきりになった。
好きとかかっこいい以前の問題だ。あんな責任重大な仕事、自分には無理だ。それでも、言葉の海に飛び込み、揺られ、たゆたう彼らの姿は読んでいてとても心地がよかった。ときどき危うく溺れそうにもなっていたが。
あまり本を繰り返し読むタイプではないのだけど、この人たちにはときどき会いたくなってしまう。この物語にはいろんな「好き」がある。
(個人的に「愛」ってのはなんだか重いので、「好き」って言葉を使いたい)
好きなことを好きなだけ。でも好きって気づいてない。
そんな姿はきっとまぶしくて、「わたしもなりたい」って思うひとつの目標になる。わたしはいま、何になりたいんだろう。
『舟を編む』三浦しをん・著