『じつは、わたくしこういうものです』
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2020-01
「じつはね、ここだけの話…わたし〈NINJYA〉なんですよ」
と、例えば同じバスに乗り合わせた海外旅行者に言ったらどうなるだろう。
こいつ頭おかしいんじゃないかと思う人が大半かもしれないけれど、
もしかしたらその人は日本の歴史ファンで、もしかしたらまだ忍者という職業があると思ってるかもしれない。
そうしたらそれはその人にとってたちまち真実になってしまう。
いやはや、罪深いですね。いろんな意味で。お前のかーちゃんデベソって、そもそも出典はなんなんでしょうか。
お前はうちのかーちゃんのヘソ見たことあんのか?いったいどういうセリフなんだ、これは。
まあそれは横に置いておこう。毎度脱線しがちですいません。なんにも知らないのに他人のことを何か言ってみたり推測してみたりすることは
誰しもやったことあるんじゃないかと勝手に思っている。
今日街ですれ違うときぶつかりそうになって「すいません」と一言だけ交わしたあの人は
果たして「ただの一般人です」と言い切れるだろうか。
それこそ、忍者じゃないにしろすごい経歴の持ち主だったりするのかも。
毎日自分の視界に入ってくるすごい数の人間たちは、その一瞬で人となりや生業を推し量るには
情報量が少なすぎる。そういう人たちの何かを推測するって、結局「妄想」ってことなんだろうな。
個人的に「空想」と「妄想」は使い分けたいという謎のポリシーがある。
書いていて思い出したが、その昔小学生だったわたしは、母の買い物について行ったはいいが
だいたいうわの空で何かを考えていた。わたしと母はその状態を「空想中」と呼んでいた。
妄想も空想なんだけど、下世話なことなどは妄想の方を使う。なんとなく。
空想って、きれいなイメージなんだよなぁ。空ってついてるからかな。
ちなみに調べたら下世話も別に汚い言葉ではないようだ。ここではちゃんとした意味で使ったつもりです。この本、まさに空想と妄想の産物。
妄想のクオリティが高すぎてほんとなのか架空なのかわからない。
〈嘘〉じゃないんですよ。〈架空〉なんです。
わたしも明日から何か名乗ってみようか、なんちゃって。
『じつは、わたくしこういうものです』クラフト・エヴィング商會 著