『ぐりとぐら』
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2020-01
祖父母の家に行くと、いつもそわそわしていた。
台所の、シンクの下にあたるあの扉の向こうに何があるのか、わたしは知っている。
身内とはいえ人様の家なので、しょっちゅう聞くと母にほんのり苦い顔をされたが、「いいよ」と言われたときはガバッとその扉を開いた。
ボウルに粉ふるいに泡立て器。あまり菓子を作らないわたしの家と違って、祖父母の家にはお菓子づくりができる器具が揃っていた。もちろん実際につくれるような年ではなかったので、ボウルに水道水をたっぷり入れて、泡立て器でカショカショやるしかなかったのだが、わたしにとっては夢のようなひとときだった。リアルおままごとである。「おままごと」「ごっこ遊び」
小学校にすら上がっていない子どもにとって、その言葉は何たる甘美な響きだろうか。
大人への羨望がかたちとなったそれは、毎日が新しい発見ばかりの幼い子どもたちの心を鷲掴みにする。
…難しい言い方はやめよう、要するにおままごとメチャクチャ楽しいじゃんサイコー!というわけだ。
お店のレジでピッとやるあの機械も、カードをシュッとやるあの溝も、お札をめくる前に指でチョンとするあの湿ったスポンジも、全部魔法の道具のように見えた。そしてそれを、持てる力を以って可能な限り再現しようとした結果、幼心にはいかにも「っぽい」ものが出来上がるのだ。わたしも、何の変哲もない2段の小物入れのすき間にどうにかこうにか紙を突っ込んでカードリーダーの真似事をしていた時期があった。ちょっと自画自賛かもしれないが、あれはなかなか上手く考えたんじゃないかと今でも思う。ぐりとぐらの、あのカステラづくりは決しておままごとなどではなく、実際きちんと完成させてみんなに振る舞っていたのだから、それをごっこと呼ぶのはちょっと失礼なのかもしれない。それでも、あの頃ただの水を泡立て器でかきまぜて喜んでいたわたしには、カステラづくりがとても輝いて見えた。最上級のおままごとだ、真似したい、とまで思った。割った卵の殻まで荷物運びにきちんと使う小さなかわいい野ねずみさんに、心を奪われた。今でも思い出すとドキドキしてしまう。
いつかのリアルおままごと、今度は本当に食べられるところまで、やってみようかしら。
『ぐりとぐら』 なかがわりえこ さく おおむらゆりこ え