『羅生門』
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2019-05
下人の行方は、誰も知らない。
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結びの一文「下人の行方は、誰もしらない。」について少し。この一文になったのは短編集『鼻)所収の時。初出は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあった。」、第1短編集『羅生門』では「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでいた。」となっている。
なぜなのか、ちょっと考えてみた。初出、第1短編集は「下人」が「は」によって動作主体だと提示される。しかし、現行は「下人の行方」が「は」によって主題だととりたてられる。
要は、焦点が違うのだと思う。旧本文では「下人」に焦点が当てられ「下人」の行動を提示する。現本文では「行方」に焦点が当てられ「下人の行方」を提示する。「行方」まで主題として提示することで、「行方」以外の情報も示唆している、と思う。死んだのか、盗人になったのか、殺しを働いたのか…行動について考察する余地もあれば、「行方」は知れずとも、「下人」の犯したことは世に知られているのかもしれない…と考察することも可能になる。
「下人の行方は、誰もしらない。」。芥川自身も、知らなかったのではないでしょうか。
『羅生門』がきっかけで、純文学の作家をたくさん読むようになり、大学も進路も就職も、言葉に関わるものに決めた。私の行方は『羅生門』によって定められたと言っても過言ではない。芥川先生には、頭が上がらない。『羅生門 』芥川龍之介